スポーツチャンバラ 田邊哲人会長のインタビュー
インタビュー記事No.8 (スポチャンの歴史)
「 小太刀護身道のはじまり 」

田邊哲人会長

 先生が道場をお持ちになったのはいつ頃ですか?


  そうですね、私がはじめに自分の道場を持ったのが昭和46年頃ですかね。
その1年前に長兄が警備会社を起こし、私はその常務取締役に就任しました。そこで武道をやっていた私にガードマンに教育訓練と言うことで、横浜の桜木町のみなとみらいから3分くらいの所にあった本社の3Fに誠心館という道場を作りました。その前には市の施設を使って弟子を持ってやっていましたが。

ガードマンに対刃物の訓練をしていた時代 当時のガードマン教育訓練の中で、実技の基調としたものが刃物に対する「対刃物護身」という事でした。素手の争い事は、おおむね喧嘩ごときの類でさしたる大事ではありませんが、相手が刃物を持ったとなれば、いかに屈強な人と言へども尋常ごとではありません。人間は、ことの外"ハガネ"には弱いのです。いかに柔道や相撲、空手で鍛えても、いかに筋肉隆々な肉体を作っても"鋼"にかかったらひとたまりもないのです。 即ち、柳刃包丁如き突き刺すように出来ている刃物は、腹を一突きされれば背中まで貫通してしまうかもしれません。その刃物にどう対応していいかという事に自分自身も興味がありました。また、刃物に対して怖じけ付かないよう、そして身を護るための護身術の技を発達させなければならないと思っていました。それが「護身道」の始まりです。




「護身道」とは、先生が作られた新しい武道なのですね。


  小太刀護身道初期の防具 小太刀護身道初期の防具  そうですね。
それまでの日本の武道は戦争に影響を受け、先に倒す、即ち「先々の先」(せんせんのせん)でした。やられる前にやると言うのが心構えとして必要だったのでしょう。座して死を待つわけにはいかないのですから。旧帝国陸軍の「歩兵操典」にもあるように、読んで字の如く、歩兵の"歩"は、将棋の"歩"であり、前へ進むことにその本旨があるわけですから。最前線では生死の境にいるのです。

  先のインタビューにもありましたが、私は諸先生に付きいろいろな道場で軍技や武道を学んだのですが、自分の道場で教えるようになって武道の「ぶ」の字も知らない少年少女達の邪気なくメチャメチャに振り回す剣が、頬をかすり指や踵に当たる時、「まだまだ」などと口では言っても、実戦に鑑みたら頬骨は歪み指の骨は折れているかもしれない。子供より強いと思っていたはずなのに。。。当時の私は負けず嫌いでしたから、どうしても納得がいかず、なぜ安易に打たれるのか、なぜ容易に当たるのか考えました。そして攻撃的使術がいかにディフェンスに脆かったかと痛感しました。相手を倒しても自分も打たれていたのではどうにもなりませんでしょう。相手を倒すのではなく自分がやられない、勝つためではなく負けない、これが護身です。勝たなくても良いじゃないか、負けなければ、やらなくても良いじゃないか、やられなければ、と言うことですね。更に言えば、「打ちっこではなく、打たれないっこ」を始めたんです。

  刑法の36条に「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。」と言うものがあります。この正当防衛は護身道で言う「後の先」(ごのせん)と言う使術で具現されるわけですね。「生死の境」にこそ本当に自分で自分を助けるものでなくては、なんの間尺に合わないのです。
  昨今、害意のある者、大のおとなでも命の危険があるような犯罪等が巷にあふれています。こういう個々の事案や世情を憂う事は元より、それらに至極無抵抗に正義が怯える現状を憂うべきでしょう。夜道は危ないとか、怖い所に行くなとかそれも防御として必要でしょうが、今は家の中にまで土足で侵入して暴力が行われ、もはや学校と言え、家と言え、安全な場所は見あたりません。本当に害意のある者、また凶悪犯から身を護れるよう、降りかかる火の粉くらいは、まずはさておき自分で振り払わなければなりません。逃げまどっていても誰も助けてくれないこともあるのです。私は初期に指導していた小太刀護身道とは、短いものを無理なく、無駄なく、巧みに使って護身と心身の鍛練を目的としたものです。バックや傘など手にした物で、それら凶刃より最低限重大な危機を脱するよう己を護る。非力な女性や少年少女が腕力を鍛えると言うよりも、持ったものを巧みに使うとなかなか侮れないものです。いざという時に正義や命を自分で護れるという自信は、これからの長い人生に必ずや役に立っていくでしょう。

「面あり」
田邊会長と新田三段との指導風景
「面の回打ち」
田邊会長と新田三段との指導風景
初期の指導風景
田邊会長(左)と師範第一号となった新田三段(右)との指導風景
袋竹刀(ふくろしない)の為、当たり所により生傷が絶えなかった。



具体的に「小太刀護身道」の指導とはどういうものですか?


  昔の武士は、大刀小刀そして槍を持って一人前。大刀は全長3尺(1m)、小刀(脇差し)は全長2尺(60cm)くらいです。刀剣学上に言うと、刃渡りの長さで大・小を区別しますが、詳細は今回は省きましょう。後にお話しする機会があれば、詳しくお話しすることにします。
武士は、脇差しを護身のために常住身につけていました。小太刀とは太刀の短いもので、刀剣学上的に言うと脇差しと小太刀とは別に分類されますが、この際は小太刀に統一します。
全長60cm程度の小太刀のような短いものを巧みに使うのが小太刀護身道ですが、具体的に短いものは巧みに使うと言うことは、ディフェンスとオフェンスがあり、デフェンスは受け方・避け方、オフェンスは打ち方を教えます。小太刀護身道の専門的な打ち方は、次の4つに集約されます。
1、「押打ち(おさえうち)」
2、「回打ち(まわしうち)」
小太刀護身道 3、「掬打ち(すくいうち)」
4、「扇打ち(おうぎうち)」

それから護り方は、
1、「四方囲い(しほうがこい)」
2、「見切り技(みきりわざ)」
3、「交互受打(こうごじゅだ)」
4、「小太刀護身道形(こだちごしんどうかた)」

となります。「四方囲い」とは頭や体を囲って左右上下を棒で受ける「囲い技」。また「見切り技」とは、反りよけ、引きよけ、引き足、伏せよけなどです。入門の最初は「四方囲い」、そしてこの「見切り技」を習得します。「見切り技」はとにかく相手に触れさせない。護身の中で一番良い技です。それが間に合わない時は棒で受ける「囲い技」ですね。兎に角「打ちっこではなく、打たれないっこ」と言うことだけは念頭に置いて稽古してください。

誠心館時代 田邊会長と子供達


有り難うございました!
次回のインタビューもお楽しみに!

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